神の国は

本当は

内緒にしておくべき絵なのですが

どうしても

ブログにのせたくて

仮園舎に移りました

隣で旧園舎の 取り壊しが始まりました

そんなとき

年長組だけ

2階の職員室で

特別に 絵を描く機会を作りました

2階からは

旧園舎の赤い屋根と

取り壊される そのとき が見えます

聖愛幼稚園で

楽しかったことを描く

そのお題です

子どもたちは

楽しかった思い出を

口々に話しています

―〇が楽しかったよねえ

―そうそう 〇〇でさあ…

―あははは…

―やった やった!

幼稚園の楽しかったことを 話しながら

子どもたちの多くが

赤い屋根を描いています

—幼稚園の壁って 白かったよね!

—ああ~空地描く場所 なくなっちゃった!

―先生 小さく幼稚園のいろいろ描いてもいい?

描いていない子も

一緒に 話題に混ざります

その子どもたちをみて

子どもたちの表情をみて

子どもたちの声をきいて

私は

大人という自分を

なんとなく

恥ずかしく感じ

この気持ちを

なんと言おうかと

思いめぐらし

私たち大人は

現実の出来事

見えるもの

聞こえる音

そういうものから 物事を考えていくけれど

子どもは

園舎を移ったこと

仮園舎での生活

旧園舎がなくなること

取り壊されること

そういうことを

息を吸うように 吸収し

身体のあちこちに行き渡らせている

それは

見えないものに

身を任せているような

自然な姿

子どもたちは

見えるものに 惑わされず

神さまに

すべてをゆだねているのだ

私たち 大人の感じる

悲しいとか

さびしいとか

切ないとか

苦しいとか

前向きとか

ポジティブとか

そんな言葉で

この子どもたちのこころを

語ることはできないとおもう

イエスは乳飲み子を呼び寄せて言われた。

「子どもたちを私のところに来させなさい。

妨げてはならない。神の国はこのようなものたちのものである。

よく言っておく。

子どものように神の国を受け入れる人でなければ、

決してそこに入ることはできない。」

ルカによる福音書18章16節―17節